※本コラムは、心理学者および臨床心理士によって、日常に役立つであろう心理学の知識を、毎月連載ものとして記載しています。無断の転載や複製は遠慮願います。

ユングの『タイプ論』の淵源をたずねて 8

「心理学クラブ」の集いから

さて、2回にわたって、ユングが「タイプ論」構想に至るまでのきっかけとなった「言語連想検査」と「フロイトとアドラーの対決」についてご紹介してきましたが、これらはどちらも主に病気の人を観察してきたものでした。 もし、対象者が患者だけであったならば、ユングの『タイプ論』は、たいへん狭い範囲で注目されるにとどまったことでしょう。
ユングはその範囲にとどまらず、自分の仮説を、健全な人々の観察もふくめて検証していきました。
1916年、ジョン・ロックフェラーの4女イーディス・ロックフェラー・マコーミックの助力によって、チューリッヒに「心理クラブ」を設立し、そこに集うようになった健康な人々の観察をはじめました。その中でも、マリア・モルツァーという女性をつうじて、直観機能の存在に気付いたり、そのほかの機能についても観察したり、さらに『タイプ論』で用いる概念について考えを深めていきました。これらの経験が、『タイプ論』を発見するきっかけとなったといわれています。 ユングは、生涯、一自然科学者として観察や実験を重視し、頭の中だけで理論を組みたてることを避けつづけました。
意外に思われるかもしれませんが、「オカルト」や「錬金術」といったテーマに向かう時でさえもその姿勢は崩しませんでした。

フロイトとアドラーのタイプは?

さて、前回、「ユングは、フロイトとアドラーを、「内向」「外向」の違いと考えたと申し上げましたが、さて、皆さんは、その後、二人のタイプを想定されてみましたでしょうか。その根拠はどんなことでしたでしょうか。

ユングは、そもそもふたりの対立というか見解の違いは一つの症例を異なる側面からみているもので、どちらが正しいとは言えないし、それは両立するに違いないと考えたのでした。すなわち、フロイトはリビドーという内的欲動を重視しているように見えたのですが、この症例の患者の場合には、父親との関係・夫の関係を志向しているととらえており、一方のアドラーは、支配力を重視しているように見えたのですが、この患者は自分の権力志向の表れであるとユングは考えました。フロイトは、他者・対象・関係(客観・外界)に エネルギーを向ける外向指向、アドラーは、主体(主観)・内面(内界)にエネルギーを注ぐ内向指向で、その理論はそれぞれのタイプの表れではないか、と考えたのでした。

ユングがここに至るまでには、さまざまな哲学者や文学者など数多くの思索家たちの考えも「経験」していましたが、そのうちのひとりで、『タイプ論』でも論じられている、米国のプラグマティズム(機能主義、実用主義とも訳される)の哲学者ウイリアム・ジェームズは、「理論そのものではなく、人が主張する理論は、その人の人柄(ユングにとっては、タイプ)の表れである。」と主張したことなどがあげられます。 まさに、ユングの主張するところと重なっていますね。

次号からは、ユングの『タイプ論』が、かれの経験とともに、どのような哲学や科学の概念を応用して成り立っているか、古代ギリシャの哲学から、丁寧にたどっていくことに致します。

(以下、次号へつづく。)