※本コラムは、心理学者および臨床心理士によって、日常に役立つであろう心理学の知識を、毎月連載ものとして記載しています。無断の転載や複製は遠慮願います。

ユングの『タイプ論』の淵源をたずねて 9

少年時代のユングが興味をもった古代ギリシャの哲学者たち

ユングは、自分は哲学者ではない。経験に即した経験科学者である、とことあるごとに口にしていました。 どういうことかといえば、哲学者は、頭の中〈だけ〉で概念操作をして、ものを考えますが、ユングは、自分の日常体験や臨床体験をとおして、経験的に理論を積み重ねていったからです。とはいえ、ユングの心理学の理論は、多くの哲学者の知見と複雑な概念を援用したり、または応用したりして、その内容を深めていきました。

ところで、ユングがいつ『哲学』と出会ったか、たどっていくと、かれの『自伝』によれば、 なんと16歳から19歳の間だといいます(これで、ユングのタイプがある程度想定できるかもしれません)。

「学校と都会生活とが、私の時間を取り上げ、増大してゆく知識は次第に直観的な予感の世界に浸透し、あるいは、それを抑圧していった。私は自分で意識的に枠づけた問題を系統立てて追及しはじめた。私は哲学史への短い紹介を読み、こうしてこの分野で考えられてきたあらゆることの鳥瞰図を得たのであった。満足なことに、私は自分の直観の多くが歴史的なアナロジーを持っていることを見出した。なかでも私は、ソクラテス哲学の弁論の長たらしさにもかかわらず、ピタゴラス、ヘラクレイトス、エンペドクレス、およびプラトンの思想にひかれた。」


とユングは語っています。 ここに名前のあがっている哲学者は、プラトンを除いて、いわゆる「自然哲学」者といわれる「ソクラテス以前の哲学者たち」です。自然哲学というのは、人間について考えるのではなく、「自然とは何か」「万物の根源は何か」を考えるものでした。このうち、エンペドクロスについては、すでに本コラム3および4でご紹介しましたので、それ以外の哲学者の考えについてご紹介いたしましょう。まずは、ピタゴラスから。

ピタゴラス

ピタゴラスと聞くと、もしかしたら「数学者」と思われる方が多いのではないでしょうか。どなたも中学3年生の数学の授業で「ピタゴラスの定理」に出会っていらっしゃるでしょうから。エンペドクロスが、万物の素(アルケー)は「火」と考えてたように、ピタゴラス(正しくは、ピタゴラス個人ではなく、ピタゴラス教団という、ある種の神秘的教団と伝えられています)は、万物は「数」であると考えたのでした。そこから、数学の原理を
すべての存在の原理として考えを敷衍させました。たとえば、1は理性。2は女性性。3は男性性という具合に。 「数」は、火や水や土などよりも多く、存在するものや生成するものと類似している、そう考えたのです。その結果、音も数として音階を刻み、宇宙が数と式で解明されるとしたのでした。世界にもまた音階の秩序と同じく、秩序があり、対立するものの調和(ハルモニア)に支配されているというのでした。
ピタゴラスの考えの大もとには、「秩序(コスモス)と調和(ハルモニア)は、「数」によって成立する。その限りでは、万物は数である。」というものです。
ユングの〈こころ〉のバランス感覚という観点と共鳴するところがありそうです。

(以下、次号へつづく。)

ヘラクレイトス

ヘラクレイトスもまた、「万物は火でできている」と主張した人物です。なぜ「火」が万物の素かということを、以下のように説明しています。

「この世界、万人に対して同じものとして存在するこの世界は、神々が作ったものでも、誰か人間が作り上げたものでもない。それは永遠に生きる火として、つねにあったし、現にあり、またありつづけるだろう。一定量だけ燃え、一定量のみ消え去りながら。」

つまり、ヘラクレイトスの主張するところは、人も物も世界も「あらゆるものは、たえず生成消滅し、変化している。」ということです。これは「パンタ・レイ(万物は流転する)」というメカニズムとして説明がなされます。

それに加えて、ヘラクレイトスの考えで注目されるのは、この「万物流転」こそが、この世界の実相であるとし、対立するものの均衡の上に、万物を支配するロゴスの働きをみいだしたことです。ロゴスとは、言葉、論理、理性という意味のギリシャ語です。ユングの「タイプ論」における「二律背反」の構造などは、「対立するものの均衡」そのものではありませんが、概念的に近似なものであるといえるかもしれません。 ヘラクレイトスは、そのあたりのことを次のような断片に残しています。

「不和であるものがどうして相和してもいる。また、逆向きに働きあう調和がある。たとえば、弓や竪琴のように。」

ヘラクレイトスが探究したのは、「一なるものの調和」でした。

(以下、次号へつづく。)