※本コラムは、心理学者および臨床心理士によって、日常に役立つであろう心理学の知識を、毎月連載ものとして記載しています。無断の転載や複製は遠慮願います。

ユングの『タイプ論』の淵源をたずねて 12 【ユングとロマン主義】

①ロマン主義とは?

ユングとロマン主義というと、もしかしたら違和感があるかもしれませんが、実は、ユングの生まれ育った時代的背景が、ユングの思想的基盤と大いに関係があると言われているのです。
あるとき、ユングは「心理学がその諸前提を重視するかぎり、哲学や思想史との関連を抜きにはできない……これらの諸前提のあるものは、ロマン主義者の時代にまで遡ることができる諸概念の再表明である。」(J.J.クラーク『ユングを求めて』)と述べています。

ところで、このことを述べる前に、そもそも「ロマン主義とは何か」についてお話ししたいと思います。
ロマンチストという言葉がありますが、たいていの場合、現実離れした(ともすれば夢見がちの)の人をさします。
その反対が、リアリスト(現実主義者)ということになるでしょう。これは、日ごろ私たちが使うときの意味といってもよいと思いますが、日常語と学術用語が同じでも、学術用語は、その学問の中で定義された意味に用いられるということはすでにご紹介したとおりです。

たとえば、「ロマン主義」もまた、学術的な用語としては、「現実離れしている」といった意味はありません。また、「ロマン主義者」という場合も、当然のこと、「夢見る人」という意味ではありません。では何か?ですが、思想的には、大くくりで言うならば、「ロマン主義」とは、本能、直観、想像力を探求して、それまで、疎んじられていた概念であるそれらの復権を図ろうとすること。象徴や元型、夢、空想の世界への関心をもつことと定義されます。

何らかの形でそれを実践したり、目指したりする人を「ロマン主義者」と呼ばれるのです。
さらに、心理学の領域と関連付けるならば、無意識における魂の深層から創造されるものという信念を意味したり、人間には根源が存在しうると考えたり、自然との共生関係が必要であると考えるといったことが、ロマン主義の定義の一つとしてあげられることがあります。

このような定義を聞くと、まんざらユングとロマン主義が関係なくはないとみえてきませんか。そう、ユングは、夢と人間の関係を徹底的に研究しましたが、「現実離れ」もしていませんでしたし、「夢見る人」でもありませんでした。

②ユングとロマン主義運動

そもそもロマン主義が運動と呼ばれるようになったのは、19世紀の初めのことでした。それまでヨーロッパ思想を支配していた、デカルト的な機械論的な精神概念に疑問を投げかけるところからこの運動ははじまりました。

この運動は、心と自然を機械論的に概念化する科学的合理主義への挑戦であり、精神の役割を正当に評価して、それまでの二元論的哲学に対して、その二元(精神と身体)を統合する世界観(宇宙論)を打ち立てようとするものでした。

最初は、詩人や作家たちが創造した作品世界に運動の兆候がありましたが、18世紀末までにはロマン主義の運動が、狭く文学の世界にとどまらず、他の芸術や学問、すなわち美術や音楽といった芸術、さらに哲学や精神医学の世界にも広がっていきました。

大きな一つの知的な運動としての地位を得、その過程で、カントやシェリング、ショウペンハウワー、ニーチェといった哲学者やブロイラーやジャネ、フルルノアなどの精神医学者は、先行した詩人や作家たちの洞察やインスピレーションの源泉を緻密化し、体系化していきました。その実態には、ここでは立ち入りませんが、ユングは、かれより一世代以上前の、ロマン主義の詩人や作家たちが「直観的に」文学作品として社会に送り出していたことを、当然、知っていました。
ユングは、60歳になったときに、自分とロマン主義時代の作家とが似た面を共有していること、そしてそのため、自分をロマン主義的と呼んでもおかしくないと認めており、無意識を探求する自分の仕事が、それらの詩人たちによって先取りされていると考えていました。ユングがそう考えた理由が、この運動のもつ重要な特徴を知れば、納得されるでしょう。

第一は、「主体または自己(Self )が再び舞台の中心に据えられたこと。すなわち、精神の世界を周縁に追いやり、物質の世界を中心に置いた科学中心主義がもたらす考えを、そうではなくて、精神的なものと物質的なものが相互に依存し合っており、主体の能動的な参画なしに自然界の概念を把握することは不可能であることを論証した」ということです。

第二には、「物質界と精神界の両方を含む統合的な自然哲学の可能性を開いたこと」でした。
これらの特徴は、ロマン主義運動がもたらした、〈世界〉を見る大きな転回点といえますが、これらの特徴は、ユング自身の思想形成にも影響を与えたと考えてもまちがいではないでしょう。とりわけ、この第二の特徴は、ユングが生涯をかけて取り組んだことをあらわしているようです。ドイツを中心にヨーロッパ全土に広がったこの運動のさなかに、1875年生まれのユングもいたのでした。

(以下、次号へつづく。)