※本コラムは、心理学者および臨床心理士によって、日常に役立つであろう心理学の知識を、毎月連載ものとして記載しています。無断の転載や複製は遠慮願います。

ユングの『タイプ論』の淵源をたずねて 2

「概念」も「カテゴリー」も測定できない

「概念とは?」、といわれても、よく耳にはするが、面と向かって考えたこともない、という方が多いかもしれません。概念とは、目の前に物として存在するものではありません。また、手で触ったり、匂いをかいだり、耳で聴いたり、いわゆる五感でとらえられるものではありません。言語であり、理論であり、仮説でもありますが、目に見える印刷物という意味ではありません。したがって、それは、数量化して測定することはできません。それを理解するには、それらの言葉に慣れ、体験的に「それ」が何かを知る。あるいは、感じるしかありません。とはいっても五感で感じるのとはちがいます。
 ちなみに、このたびのノーベル物理学賞で話題となったニュートリノは、これまで質量(量・程度)がないといわれてきたのですが、このたび測定されたことでその存在が質量を持つものとして認められ、物理の学問領域での大前提に一致したため、物理学賞を得たものです。
 だいぶ以前に、脳科学者の茂木健一郎さんが、「クオリア」という概念を提示したことがあります。茂木さんの目指すところは、「人間の意識は、いかにして発生するか」ということですが、意識の発生のしくみを知る手がかりのひとつとして「クオリア」を位置づけたのでした。 たとえば、リンゴならリンゴを思い浮かべてみるとき、私たちの中にリンゴの質感が感じられるでしょう。また、赤い花をみたとき、その赤さが、いわく、言いがたい「質感」として内面に感じられるはずです。それを「クオリア」と名づけたのです。
さて、茂木さんは、その質感を測ろうと研究を重ねました。つまり、量ではなく質を測ろうとした研究だったのです。もしそれが測定という科学的方法で証明できたら、ノーベル賞級といわれたものでした。でも、今に至るまで「クオリア」が測定されたという話は、トンと聞きません。そして、今に至るまで、この「クオリア」は測定不可能なものとして、現代科学は解き明かすことができずにいます。
 この「クオリア」というものが、MBTIやユングの理論の中に登場する重要な概念である「カテゴリー」や「質」に近いかもしれません。みなさんは、ご自分の中で、機能している「知覚機能」や「判断機能」を、いわく言いがたい「質感」をもって、日々感じてすごしていらっしゃいますか?

理論とは、おのおのの学問に固有な専門用語で成り立っている

理論とは、おのおのの学問に固有な専門用語で成り立っている。とうぜんのことですが、学術的な専門領域で用いられる言葉は、その学問領域での意味を定義づけされて、ふつう私たちが日常語として使っているのとは異なった意味で使用されます。 
たとえば、「善意」という言葉は、日常では「他人や物事に対して持つ、よい感情や見方、行動」というような意味で使われますが、それが法律用語になると、「ある事実について知らないこと」という意味になり、それ以外の意味を持ちません。また、日常で「変態」というと好ましい意味では使われませんが、生物学の専門領域で「変態」といえば、「幼虫が成虫に変化していくこと」であり、それ以外の意味では使われません。たとえば、「利得」といえばふつうは、「得た利益」とか「利益を得ること」という意味になりますが、これが電子工学の領域になると、「電気回路における入力と出力の比」と、日常の意味とは切り離され、定義しなおされて使用されています。  ご存知の通り、ユングやMBTIの『タイプ論』でいえば、「感覚機能」の「感覚」や「感情機能」の「感情」といったことばが、日常語とは異なった意味で、定義しなおされて使われています。
このように、ある専門領域のことを学ぶとは、ひとつの例外もなく、その領域のみで使われる用語(専門用語=概念=理論)を、はじめて学ぶ言語や定義として学び、その用語で成り立った理論=専門領域を体系的に把握し、現実に応用していくことが求められるといえるでしょう。