※本コラムは、心理学者および臨床心理士によって、日常に役立つであろう心理学の知識を、毎月連載ものとして記載しています。無断の転載や複製は遠慮願います。

ユングの『タイプ論』の淵源をたずねて 3

「タイプ論」と「特性論」~ 性格の2つの見方

「タイプ論」と「特性論」という、2つの性格の見方があります。 日ごろ、私たちは、「ふつう」とか「ふつうの行動」とかいう言い方で、自分や他者を評価することに慣れています。その「ふつう」と違う行動や態度が即「ヘン?」と思ってしまうこともあります。これが、ある基準(統計学的には、標準値)を設けた、比較するアプローチ、すなわち「特性論」の見方というのはご存知の通りです。
一方、「タイプ論」は、質やカテゴリーに分類している見方です。その大きな特徴は、質やカテゴリーですから、そもそも比較ができない、そのもの固有のものを持っていると考えます。「特性論」も「タイプ論」も、いくつもの概念で成り立った、理論のひとつですから、「特性論」も[タイプ論]も、目に見えるものではありません。

「特性論」で人の性格を見ているとき、その人は誰かと他の人を比較してみているのです。「タイプ論」で人の性格を見ているとき、その人は他の人と比較して見ていないということです。そして、「タイプ論」で見ているといいながら(思いながら)、カテゴリー同士を比較しているならば、それは「タイプ論」で対象をみているのではなく、すでに「特性論」という理論(概念)を用いて対象をみているということになります。(特性の偏りを、タイプということばで統計学の中で呼ぶことがありますが、タイプという言葉を使ってはいても、それは、ユングのMBTIのタイプ論とは異なります。)

古代の「タイプ論」

さて、ユングがいかに彼の「タイプ論」を創造していったかをたどるために、これからしばらく、「タイプ論」を用いてものごとをとらえようとする考え方が、古代より存在していたということからはじめましょう。そのあと、近代から現代にかけて、ユングの同時代にも「タイプ論」を用いて、人間を知る理論的枠組みのひとつとして発表された、著名ないくつかの「タイプ論」を簡単にご紹介していきます。では、まずは古代ギリシア哲学から。

エンペドクロスの「4元素説」

いまから約2500年前のギリシアでは、「万物(自然)の根源とは何か?」の解明をはじめました。これが哲学の起源といわれています。そのため、そのころの哲学は、万物(自然)を対象としたため、自然哲学といわれ、それを探求する人たちは自然哲学者と呼ばれました。
自然哲学の祖といわれるタレスは、万物は水でできていると考えました。ついで、アナクシマンドロスは、空気。アナクシメネスは無限なるものでできていると考えました。

その次に登場したのが、エンペドクロス。この人は、万物は、空気、水、火、土の4つからなっているという、それまでに出た説を統合するような、4元素説を唱えました。しかも、その4元素を結合させたり(愛)、分離させたりして(憎)、4元素は集合離散をくりかえし、この4元素は新たに生じることもなく、消滅することもない。そのある状態が、万物として現れているのだというのです。

ここまでで、どこかユングやMBTIのタイプ論との構造的な類似性を感じませんか?

4元素と4つの心的機能。愛と憎という4つの元素を動かすエネルギー。
これだけきくとすでに、タイプ論の原型ともいうべき概念の構造が、見出されてきませんか。ここでいう4元素や愛・憎には心理的な意味はありません。愛は、後年の「引力」にあたり、憎は、後年の「斥力」にあたるといわれています。

(以下、次回へ)