※本コラムは、心理学者および臨床心理士によって、日常に役立つであろう心理学の知識を、毎月連載ものとして記載しています。無断の転載や複製は遠慮願います。

ユングの『タイプ論』の淵源をたずねて 6

ロールシャッハテストとユング

さて、前回、ユングの『心理学的類型〈タイプ論〉』の出版された年に、E.クレッチマーの『体格と性格』と、ロールシャッハテストで有名なH.ロールシャッハの主著『精神診断学』を名前だけ紹介し、ロールシャッハテストについては、「インクのしみを用いた投影法のテストですので、今回はふれません。」とスルーしてしまったのですが、今回から『タイプ論』の成立の端緒となったエピソードを紹介するに当たって、ロールシャッハテストとユングに関係が大いにあったことを少しご紹介したいと思います。

ユングが世界的に有名になったのは、1906年から1909年にかけて、師のオイゲン・ブロイラー教授の下で進めていた「言語連想検査」にもとづく 論文を発表したことにはじまります。この「言語連想検査」は、世界初の投影法テスト(テストと検査は同じ意味です。)として注目を集め、その後さまざまなテストの開発に大変な影響を与えたのでした。

H.ロールシャッハはユングと同じスイス人で、彼自身がチューリッヒ大学の医学部でユングの講義を聞いており、「言語連想検査」を施行し、報告をしています。さらに、彼の主著『精神診断学』のなかで、ユングの「外向」「内向」を批判し、それらを別の定義をし、その概念を別の概念に置き換えて解釈しています。よって、ユングの『タイプ論』における「外向」「内向」とロールシャッハのいう「内向」「外向」の定義は異なります。
ここらへんは、原語のドイツ語では明確なのですが、日本語にすると同じになってしまったりして、これは、ユングの日本語訳の翻訳書でも起こっており、誤解を招くことがままありますね。

私たちは、なかなか日常的には「外向」と「外向的」「外向性」の意味を分けて理解しようとしていないようなのですが、それらが専門分野で使われている場合は、必ず概念の定義に戻ってみることで、ある程度誤解は避けられるかと思います。

これも「豆知識」ですが、ロールシャッハの伝記を書いたエランベルジェは、「今から300年後には『精神診断学』の著者はロールシャッハではなく、ユングであることが証明されるかもしれない。」とさえ語っています。

ここまで『診断額的連想研究』(人文書院刊)の訳者あとがき(高尾浩幸氏)を参考にさせていただきました。 ユングの投影法テスト「言語連想検査」の影響はそれ以外にも多数ありますので、興味のある方は調べてみられてください。