※本コラムは、心理学者および臨床心理士によって、日常に役立つであろう心理学の知識を、毎月連載ものとして記載しています。無断の転載や複製は遠慮願います。

ユングの『タイプ論』の淵源をたずねて 7

フロイトとアドラー

1900年、フロイト(1856~1939)が『夢判断』を出版しましたが、ユング(1875~1961)は、『夢判断』にふれるものの、フロイトと親交を重ねたのは、1907年になってからのことでした。
一方、アドラー(1870~1937)は、1902年にフロイトの『夢判断』(1900年刊)に対する否定的な記事を『ウィーン自由新聞』紙上で読み、フロイトの説を擁護する投書を新聞社に送り、この投書がフロイトの目に留まったのが、フロイトとアドラーとの出会い。これをきっかけに、アドラーはフロイトの研究グループに参加しはじめました。この「研究グループ」は後に、ウィーン精神分析学会へと発展し、1910年にはアドラーが医者以外の心理学者として、はじめて会長を務めました。
 さて、ユングを含め、この3人についての紹介は、たくさんの書籍で紹介されていますので、そちらをお目通しいただくとして、ここでは、1911年、フロイトとアドラーに学説上の対立が起こり、二人がそれぞれの理論を持って別々の道をゆくきっかけとなった、ユングがあげている症例のごく一部をみていきましょう。この症例をめぐって、「なぜ、フロイトとアドラーは相容れなかったのか。フロイトとアドラーどちらもが成り立つ理論はないのか。」と、ユングが考えをめぐらせたことが、彼の「タイプ論」へ、ひいてはそれ以後の研究へと展開していくことになります。

フロイトとアドラーの理論の違いとユングの立場

さて、河合隼雄先生の著作『ユング心理学入門』の「フロイトとアドラー」という章から、ある症例の発端の一部のみですが、ご紹介いたしましょう。
発端は、「夜になると悪夢に襲われ叫び声をあげて起き、夫にしがみつき、自分を見捨てないように頼み、本当に自分を愛していることの確証を得たいという。ついに神経症性のぜんそくも発生し、不安発作は昼にまで生じるようになった。」というものでした。ここから、フロイトとアドラーはそれぞれ独自の考えを展開していきました。
ふたりがそれぞれ、どんな見方をしていたか、わかりやすく表にして下記に示します。

理論の特徴 パーソナリティ論
S.フロイト 因果論(心的決定論) 行動は、過去のできごとに原因がある。過去のことが判明すれば、症状は消える。 小児期体験の重視 抑圧についての考え方 無意識の重視 欲動論 心的装置論ほか
A.アドラー 目的論 行動は、未来の目的に向けてなされる。症状は、過去には関係がない。 劣等コンプレックス 個人は「分けられないもの」 力への意志 補償作用 男性的抗議ほか

かなり、大雑把なご紹介になりましたが、フロイトは、現在、2種類の全集も出ていて、その思想(あえて思想といいますが)の全貌にふれることができます。また、アドラーという人物は、もともと社会に目を向け、教育にも関心をもって活動してきた、草分け的存在でもあるため、このところ大震災などの災害の中で、かれの共同体感覚(自分は共同体の一部である)や、ライフスタイル(個人の考え方や行動のクセを知って相互理解をしていく)などの概念でもって、自分を知り他者を理解していくことの支援に一役買っているといえるでしょう。アドラー関連の書籍では、『嫌われる勇気』(岸見一郎著・ダイヤモンド社刊)や『アドラーの生涯』)(岸見訳・金子書房刊)などが参考になるとおもいます。

さて、表からわかるように、フロイトの場合、過去を探ろうとしたのに対し、アドラーは未来志向でした。アドラーは、「今悩んでいる症状がもしなかったら、何をしたいと思いますか?」と未来についてよく尋ねたといいます。このことばが、アドラーが「目的論」の立場に立っているという特徴をあらわしています。
この症例は、ひとつの「事実」に違いないはずなのに、フロイトとアドラーの、どちらの理論でも説明されうるのでした。(なお、『ユング心理学入門』には、この症例についてその概要がもっと詳しく紹介されています。)

このようなふたりの考え方をみていたユングはどう考えたのでしょう。ユングは、彼の死後出版された『自伝』のなかで、こう語っています。
「一方では性的解釈、他方では力の衝動という教義のために、私は数年にわたって類型学(タイプ論)の問題を考えることになった。」と。 ところで、そもそもユングは、対極にある異なった両面をともに受け入れてゆくにはどうしたらよいか、という態度を、何事に当たるにも持っていましたから、二人の異なる主張を説明するにどう考えればいいのか、を考え尽くそうとしたのでした。「タイプ論」による性格研究の大きなきっかけとなりました。
ところで、ユングは、フロイトとアドラーを、「内向」「外向」の違いと考えてみています。さて、皆さんは、ふたりのタイプをどう考えますか。

(以下、次号へつづく。)