※本コラムは、心理学者および臨床心理士によって、日常に役立つであろう心理学の知識を、毎月連載ものとして記載しています。無断の転載や複製は遠慮願います。

ユングの『タイプ論』の淵源をたずねて 10

ヘラクレイトス(前回のつづき)

昼と夜。天と地。上と下。内と外。生と死。これらの2項が二つで一つ、カテゴリーが異なったペアである、とは、ユングのタイプ論で説かれるところですが、ユングのタイプ論の場合、その対となるカテゴリーは、どこまでいっても中立であるところに特徴があります。

ところで、古代ギリシャの哲学の世界では、この二分法は、ディコトミー(英語読みでは、ダイコトミー)思考とよばれ、ヘラクレイトスが根底から打ち崩そうとしたものでした。当時、ギリシャを席巻していたのがピュタゴラス派。ピュタゴラス派の根本思想が、ディコトミーでした。

ディコトミーとは、三つの構造で成り立っていると考えられています。
  1. 二分コード設定(A/B)
  2. 二者択一(AまたはB)
  3. 選別エチカ(Aをよしとして選別)
    ※ようするに、AかBのどちらかに自動的にプラスかマイナスの価値を賦与してしまうということ


現代のアメリカなどでよくいわれるのは、学校教育のなかに、論理的思考優位のとらえかたが基軸にあるために、ディコトミーにおいても、優劣の価値付随がどうしても付加されてしまう背景があるといわれています。

日本人の私たちも、また、アメリカとは違った背景から、当たり前のようにディコトミー思考でものごとを考えていることがありそうですね。ただし、ご存じの通り、ユングの二律背反の構造は、AかBのどちらか一方にプラスかマイナスの価値を賦与るようなことはありません。外向と内向、感覚と直観、思考と感情。ともに同等の価値があるという点が、西洋世界にあって、いわゆるディコトミー思考からユングが自由であった証拠と言えるでしょう。 (古東哲明著『現代思想としてのギリシャ哲学』を参考にしました。)

(以下、次号へつづく。)